元日の実業団駅伝。 2日、3日の箱根駅伝を見る。
ジョガー歴は30年だったが、いろいろな思いが馳せ、ついつい応援に熱が入る正月である。
それにしても,5区は天下の険の山登り。 東洋大・1年生の柏原竜二選手は8人抜きで、
区間新記録の激走は凄かったナ~
車山クロスカントリー、八つ岳高原マラソン、三浦マラソンなど登り坂は本当にキツカッタ。
青梅マラソン(30キロ)で連続5回走ったが、23キロ地点から始まる登りは地獄だった。
上野公園・弁財天の裏にある不忍池をバックにした
駅伝の碑があるのをご存じですか。
台座に23の中継点が書かれている。
スタート:京都・三条大橋ー草津ー水口ー北土山ー亀山ー四日市ー長島ー名古屋ー知立ー
藤川ー豊橋ー新居ー見附ー掛川ー藤枝ー静岡ー興津ー吉原ー三島ー箱根ー
国府津ー藤沢ー川崎ー上野・不忍池:
ゴール
【碑文】
駅伝の歴史ここに始まる
我が国, 最初の駅伝は, 奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が
大正6(1917)年4月27日, 28日, 29日の3日間にわたり開催された。
スタートは, 京都・三条大橋,ゴールは, ここ東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
大正6年に, 3日間かけて 京都と東京の間(508km 23区間)で 駅伝が行われた。これが
駅伝のはじめとされる。
これを契機として, 3年後の大正9年に 箱根駅伝が誕生した。
なお, 全く同じ形の碑が, 駅伝の出発地である 京都にも建てられているそうだ。
1日の第53回全日本実業団の駅伝大会は富士通が優勝。
(7区間100.0キロのコースに37チームが出場。4時間51分55秒で2回目)
2日、3日の第85回東京箱根間大学駅伝大会は東洋大が初V。
(10区間217.9キロのコースに23チームが出場。11時間9分14秒)