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2010年2月9日(火)
龍馬を愛した三人目の女性 「平井加尾」 1838年(天保9年)~1909年(明治42年)享年72歳 肖像が見つからない!残念。 司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」のヒロイン「福岡のお田鶴さま」のモデルです。 平井加尾は土佐勤王党の領袖・平井収二郎の妹で、生まれは天保九年、龍馬とは で三歳違い。(ちなみに千葉佐那も同じ天保九年生まれ) 加尾の兄収二郎は土武市半平太の率いる土佐勤皇党の重鎮として活躍した文武を 兼ね備えた秀才であった。 加尾は龍馬の姉乙女とは琴の稽古仲間であったこともあって,龍馬とは幼馴染 であり、和歌をたしなみ文筆に長じた才媛である龍馬とは相思相愛であった。 加尾は1859年(安政六年)12月、20歳のとき山内容堂の妹友姫が三条実美の兄 公睦に嫁したさい、その御付役として上洛し公睦死亡後も1862年(文久2年)まで 三条家に仕えて帰国した。 その頃、加尾あてに龍馬は1861年(文久元年)の九月十三日、一通の謎めいた手紙を 送っている。 ●文久元年九月十三日付平井加尾宛書簡 先ず先ず御無事と存じ上げ候。天下の時勢切迫致し候に付、 一、高マチ袴 一、ブツサキ羽織 一、宗十郎頭巾 外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。 内容は、男装(袴・羽織・頭巾に、大小など・・)の用意をしておきなさい。 ・この手紙は龍馬が恋心を抱いていたころの手紙であるため、自分の脱藩後に 男装の加尾と勤皇運動に従事するつもりだったのか? ・京が物騒なので、いつでも変装できるように、用意を促したものとか? ・また男装をして、所司代などを探れ(スパイ)というような内容のものだとか? いろいろ意見が分かれそうですが、本当のところは謎です。 とにかく加尾は土産物の名目で出入りの呉服屋から袴地と羽織地を買って仕立て、 少刀は懐剣で間に合わせ、太刀は手紙を内緒にして兄に送らせたという。 また加尾は、用意はしていたという談話を、後日しているようですが・・・ 加尾はその目的を知るこなく、龍馬も告げることはなかったようです。 そんな加尾が「龍馬は本も読まないのね」と言ったもんだから、竜馬は必死に 勉強したんでしょうかねぇ。 この初恋は実りませんでしたが、大人になってから龍馬は加尾に和歌を届けています。 「嵐山夕べ淋しく鳴る鐘に こぼれそめけり木々のもみじ葉」 1886年(慶応2年)加尾30歳のとき、西山志澄と結婚し娘をもうけ、のちに娘に 養子を迎えて平井家を継がせる 西山 志澄(にしやま ゆきずみ)1842年(天保13年)6月6日)~1911年(明治44年)5月27日 日本の明治初期の軍人。政治家。自由民権運動家。警視総監。幼名・直次郎。 志澄は文学を市川彬斎や徳永千規に武芸を武市瑞山や吉村頼平に学び致道館に入る。 土佐勤王党に参加し奔走する。平井収二郎(加尾の兄)が罪に問われた際は土佐への 護送の任につき、瑞山の下獄に当たっては藩に免罪を願い出た。 板垣退助を助けて立志社、愛国社、土佐民会の設立に尽力をする。 墓は東京都港区青山 2丁目の南青山霊園。 「坂本龍馬大辞典」から写真と文は引用しました。
by bonsaik
| 2010-02-09 23:00
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